神楽坂のご紹介
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神楽坂の名称の由来
「神楽」神事において神に奉納するため奏される歌舞
「神楽坂」の名称の由来について、この坂上の右側に「高田穴八幡」の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからと言われております。はたまた、「神楽坂若宮八幡神社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれております。※由来については諸説あります。
私自身、幼少期より浅草で育ち、「祭りごと」は身近にあり、毎年5月に行われる浅草の「三社祭」では毎年神輿を担がせていただいております。
神楽坂の神社・寺院のご案内
神楽坂を象徴する「神楽坂 毘沙門天 善國寺」
神楽坂に面した場所にある「神楽坂 毘沙門天 善國寺」。本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれておりました。現在は新宿山ノ手七福神の一つに数えられております。
当店「神楽坂 創彩割烹 清水」は、この毘沙門さまの真裏にお店がございます。是非お立ち寄りくださいませ。
オシャレな神社として有名な「赤城神社」
赤城神社には『岩筒雄命(いわつつおのみこと)』、『赤城姫命(あかぎひめのみこと)』が祀られています。この御神体は、お詣りに来た女性の願い事を叶える女神様といわれています。多くの女性が良縁成就、夫婦円満、安産などを願い赤城神社を訪れます。また、江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされていた、由緒正しい神社です。
700年以上の歴史をもつ赤城神社は、2010年に有名建築家の監修のもと大幅に改修工事が行われ、ガラス張りのモダンな社殿に生まれ変わりました。2013年には「グッドデザイン賞」も受賞しており、近年ではドラマの撮影地でも話題となり、多くの方々が訪れております。
新宿区最古の鳥居がある「筑土八幡神社」
江戸時代までは筑土八幡宮と呼ばれていた「筑土八幡神社」。
階段状の参道途中にある、石造りの鳥居は新宿最古の鳥居と言われております。
新宿区では有形文化財としても登録されております。
神楽坂と大正時代・大正浪漫
大正時代に「花街」として隆盛を誇った神楽坂
神楽坂は大正時代に隆盛を誇った花街で、飯田橋駅を背にした坂の右手に残る花街特有の路地は、日本でもここにしかないといわれております。今でも「芸者新道」などは人気スポットの1つとして残っております。当店も、かつて芸者さんがお住まいになられていた古民家を改装して一軒家割烹となりました。
神楽坂と文学者「夏目 漱石」
夏目漱石先生は新宿区喜久井町の夏目坂に生まれ、晩年の約10年間(明治40年〜大正5年)も実家近くの新宿区弁天町に住み、「三四郎」「それから」「こころ」といった代表作を執筆しました。
晩年に住んだ家の敷地の一部が「漱石公園」、「漱石山房記念館」として一般公開されています。
大正浪漫を代表する画家「竹久 夢二」と神楽坂
当店の随所に装飾・彫刻された絵画は大正時代した活躍した画家「竹久 夢二」氏の美人画と呼ばれる代表作。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」とも呼ばれておりました。竹久夢二氏は激動の大正時代をここ「神楽坂」で過ごしたと言われております。
当店では、この美人画や大正時代のアンティーク照明・絨毯などを用いて、激動の大正時代「大正ロマン」を再現しております。